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4・13 根津山小さな追悼会タイトル
更新日:07.10.10 

―10周年記念文集―


私たちの街に大きな空襲があった
4.13 根津山小さな追悼会―10周年記念文集―

2006年4月13日 発行
4.13根津山小さな追悼会実行委員会 編集発行

[連絡・記念文集取扱い先]
代表・小田光野
Tel.03-3971-4771


 追悼会開催について 豊島区が昭和20年4月13日から14日にかけての城北大空襲のよって焼け野が原になってから はや61年になりました。
 戦後に生まれた方々が もう還暦をむかえる年齢になっていることを思えば 私たち日本人にとって戦争の記憶は遠く過去のことのように思われがちですが 現在の私たちの生活はその戦争の傷痕の上に構築されているのです。そして戦争は未だにこの地球上に存在し続けています。
 かっての日本 それもこの東京周辺についていうならば 連日の空襲と猛火に晒されており 多くの戦争犠牲者がこの根津山の地にも 埋められているのです。豊かな才能と大きな可能性に満ちあふれていたであろう子供たち その子供たちを抱えて絶望の果てに亡くなった母親 そんな妻や子のために戦場に出ていった父や兄。私たちはその現実をしっかりと受けとめなければなりません。
 近年アメリカにおける戦争の機密文書が公開されるにおよび 当時の日本の状況がより明確になりました。昭和19年末から20年8月15日の終戦のその日まで B29爆撃機による空襲は連日連夜続けられ 広島や長崎に落された原爆よりも恐ろしい攻撃作戦が展開していたのです。どのような経緯があろうとも戦争は決してしてはならないのです。
 戦後60年の節目の年 私たち「小さな追悼会」では追悼会十回目の総括として 皆さまの記憶を喚起し『戦争体験』の記録をとお願いいたしておりましたところ たくさんご寄稿をいただきました。ありがとうございます。記念文集をご披見いただきご感想などお聞かせ願えればと思います。
平成18年4月13日 代表 小田光野 



目 次

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はじめに                  小田光野 …01
根津山にまつわる空襲被災体験について    高野之夫 …02
第十回4・13根津山小さな追悼会に寄せて   中村丈一 …03
十周年に寄せて               前島郁子 …04
追悼会立ち上げのルーツ           矢島勝昭 …06
駅の東に森があった(根津山絵地図) …………………………10

寄 稿 文
「火の海になった根津山」         廣瀬あきら …13
「焔の本立寺」               矢島豊子 …14
「戦火の中を逃げ惑って」          青木延子 …16
「脳裏に焼き付く空襲の日の夜桜」     越阪部文江 …21
【聞き書き】「空襲の根津山の一夜」    横谷イセ子 …22・23
  山崎登志子さんのお話               …22
  猪野 笑子さんのお話               …23
「よみがえったあの日」           向井承子 …24
「戻らなかった母と妹」          宮崎さと子 …27
「クレヨンの色」              足立久雄 …29
「昭和二十年四月十三日の空襲
   雑司ヶ谷一丁目附近のこと」      鈴木静子 …32
「城北空襲時の私の体験記」         東流邦昌 …33
「根津山惨歌」               中村清松 …36
「空 襲」                 伊藤武夫 …38
「空襲で亡くなった祖父」          渡辺孝子 …40
「4・13根津山にまつわる空襲被災体験」  尾上多喜雄 …42
「未来のない頃の原風景」          関きよし …44
【イラスト】「空襲、その後」        矢島勝昭 …46
「私の青春」                立柳豊子 …49
「身代わりになった姉」          榎本友美子 …50
「学童疎開」                石井公恵 …52
「追悼会によって知る空襲被災体験」     竹内里美 …53
「幼い記憶に残る戦禍の跡」         増田 純 …54
「震災も戦災も体験した母」         加藤典舟 …55
「小さな追悼会」              三科愛子 …56
「朗読を続けて来て」            三上明子 …58
「『4・13根津山小さな追悼会』に寄せて」 宿谷よしえ …59

「豊島区史・通史編」より
 
「一枚のセルの着物」           抜井光子 …60

「東京被爆記」より
 「大量爆撃」「爆弾投下総量」「東京の空襲」 ……………62

追悼会十年のあゆみ
【座談会】追悼会の十年を振り返って  追悼会実行委員 …64
【追悼会十年の記録/表】 ………………………………………72
【追悼会十年の記録から】
  平成七年度「式辞」           加藤一敏 …75
  平成十三年度「追悼の辞」  屋代日出光 屋代康光 …77

むすびのことば               矢島勝昭 …78
参考・引用文献 奥付 ……………………………………………80




―空襲被災体験記の中から(抜粋)

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「クレヨンの色」

足立 久雄
北池袋(堀之内)駅で避難
▲北池袋(堀之内)駅
 大勢の人達が明治通りを飛鳥山方面に向かって歩いていきます。私達はこの辺りの地理がよく分からないので隣の靴屋のお姉さんと母と小生と三人で飛鳥山方面に向かうつもりが前方が火災で行かれそうもない。癌研と反対を左に行くと雲雀踏切、東武東上線北池袋(堀之内)の先も火災で行かれない。母が線路におりて「ここなら周りが燃えても広いから安全」と言うのでホームと線路の間の小さな溝に入り、火災の収まるのを待つことにしました。

雲雀踏切り付近の親子の焼死体
▲雲雀踏切り近く
 その内に風が出てきて池袋電車の車庫の方から、トタン板やらかなり重たい物や火の粉が一晩中飛んで来て、濡らして来た防空ずきんが乾燥していました。
 火の中は竜巻で、当然朝になって一晩中煙りの中にいたので目が開けていられない程まぶしくて。
 火が収まって三人は無傷で家路につくのですが、焼けた臭いが鼻に付いてふと見ると、道路端におかあさんの背中に子供がつかまった格好で黒くなっている姿が、今も胸に詰まる思いです。

王様クレヨン工場の焼跡は色彩の山になった
▲王様クレヨン
 父がタイヤの焦げた自転車を転がして五ツ又(現六ツ又交差)を通ると、焼けた死体が大勢倒れていました。
 ふと振り返ると、赤青黄何色もの色が焼け跡に山積に(王様クレヨン工場の原材料)。朝日がクレヨンの色に反射して、とても綺麗な風景が目に染みて残っています。数年たってから思うとこれが平和の色なのかなと思い、二度と戦争をしてはいけないと思いました。

(当時十二才/平成十七年四月記)



「4・13 根津山小さな追悼会」にお力をお貸しください。

皆さんとともに心に響くよい会にしていきたいと思っています。
追悼会へのご参加、ご協力、率直なご意見ご要望をお待ちしています。
【事務局】03-3971-4771 小田光野



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