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「灰の中からの脱出−城北大空襲後の暮らし−」
  絵:矢島勝昭 ※著作権は作者に帰属します 更新日:08.11.13

タイトル:焼跡の暮らし

絵:防空壕暮らし

防空壕暮らし
晴れた日は、湿っぽい防空壕を出て過ごす。
"防空壕暮らし(壕舎生活)" と "バラック暮らし" は当時半々くらい。3年くらいは防空壕暮らしが残っていた。バラックから建替えるようになるのも、戦後3〜4年たった頃からだった。
壕舎は防空壕を改良した半地下式住居で戦災地の「標準型住居」 東京都がモデルを造り昭和20年3月に「東京壕舎」の見本を各町会に設置 都民348万人のうち30万人が家を失い 防空壕暮らしのまま敗戦を迎える


絵:焼け残った質屋の土蔵

焼け残った質屋の土蔵
バラック暮らしと比べれば、土蔵暮らしはお城のよう。
・昭和20年06月 都内の壕舎生活者-240,000人
・昭和20年10月 区内の壕舎生活者
---6,230人
・昭和20年10月 都内の壕舎生活者-310,124人
・昭和22年07月 都内の戦災家屋の復興
-12.3%


絵:焼跡でトタンを拾う

焼跡でトタンを拾う
焼跡に仮小屋を建てるにもトタン板1枚の配給もない。焼け跡から使えるものを探し出してバラックを建てる。敗戦後、政府は簡易住宅30万戸建設を決定するが年内の実現は1割。


絵:焼跡の住まい

焼跡の住まい
下から「早く穴からでたい!」「うらやましいな!」「ほら、都営住宅だよ!」
終戦の翌年、高田第四国民学校(後の日出小学校)の焼跡に40戸の応急簡易都営住宅が建った。6畳2間程度の広さにトイレと炊事場が付いていて、防空壕やバラックに住む者には御殿のように見えた。


絵:バラックから建築申請

バラックから建築申請
臨時建築制限規則による許可(及び資材割当)申請書
罹災焼失後ブリキ張リバラック二住居シ居リシモ使用二堪ヘナクナッタ為二併築セントスルモノナリ
新築とはいえ新しい材料で建てられない 戦時中の建物疎開で出た材木や畳など保管されていた古材で建ててもらった


悲しみ食糧買出し/焼跡の暮らし/進駐軍闇市世相の断片



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