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「灰の中からの脱出−城北大空襲後の暮らし−」
  絵:矢島勝昭 ※著作権は作者に帰属します 更新日:08.11.26

タイトル:闇市

絵:にぎわう露店の闇市(東口)

にぎわう露店の闇市(東口)
よく売られていたのは南京豆、イカ焼き、おでん、うどん、焼イモ等で10円単位で売られていた。何が入っているか分からないような代用パンも…。都会の人間は買出しと闇市で生き延びた。


絵:命懸けの一杯(東口)

命懸けの一杯(東口)
失明したり命を落すメチルアルコール(メタノール)が入ったものを焼酎と称して飲ませる屋台。闇市では、バクダン(メチル)、カストリ、ドブロクなどの密造酒が売られていた。
●バクダン:甘藷原料の工業用アルコール(エタノール)が飲用アルコールとして出回った 添加物メタノールの蒸気化して除去すれば無害だが不完全だった ●カストリ:本来の"粕取"と違いドブロクを蒸留して造った粗悪焼酎 アルコールは強い ●ドブロク:素人の不完全な醸造法により酸っぱくてアルコールが少なく酔えない


絵:露天の闇市出現(西口)

露天の闇市出現(西口)
西口にできた闇市は、あっという間に広がった。池袋駅を中心に半径1kmは焼跡、空地と見なされ誰が所有者であるかは関係なかった。


絵:露店広場にマーケット建設(西口)

露店広場にマーケット建設(西口)
露天の闇市も、やがて屋根つきのマーケットに進化していく。敗戦の年が開けしばらくすると 東西に連鎖式市場が建ち始めた。東口マーケットに4カ月遅れ、西口にもその後続々と建設される。
"闇市場"の汚名を返上するため それまでの青空市場の露店を組織化・衛生化し商いを定着させ信用商売を目指した これまでのような露店も併存した


絵:バラック建ての闇市(西口)

バラック建ての闇市(西口)
露天の闇市がバラック建に変わっても、食い物の店はやはり繁盛。うどんやそば、天ぷら、煮込み、モツ、焼き鳥、お汁粉…、値段は安いものはなかったが、作ったものは何でもよく売れた。砂糖は貴重品で、甘味はサッカリンとズルチンの時代だった。
店舗は1間半×2間の広さで2,000円くらい 数区画を借りて内緒で製麺所兼倉庫にして商売していたものもあった




タイトル:池袋東西の闇市

※地図は次の資料を元に西条道彦氏の記憶を加えて作成したものです。
『豊島区史資料編5』9〜28頁と22頁/図1-3 池袋連鎖商店街の分布、
『池袋「やみ市」の実態』138頁/第2図 池袋連鎖商店街の分布


●青空市場で闇売り・闇買い
敗戦後間もなく始った露店の闇市。今まで秘かに行われていた闇売り、闇買いが白日のもとで行われるようになった。
昭和21年1月頃の池袋では日々集散する露店商は800近く。1日商売の浮草商人が多く、ムシロを敷いて品物を並べただけの商い、ミカン箱や手製の台を置いた店、にわか造りの屋台が並んだ。

●露店闇市のマーケット化
池袋東口駅前に森田組東口マーケットが開設すると、1年余りの間に連鎖商店街は13カ所、商店は1200軒以上になった。
連鎖商店街が広がったのは、池袋駅が交通の要所であったこと、建設用地が広く(駅周辺が戦災で焼野原)あったこと、沿線に非戦災地域があって購買力のある地域が残っていたことが大きな要因。

●復興ささえ消えた闇市
東口のマーケット 駅前区画整理事業によって、昭和24年から移転準備が具体化。マーケットは取壊され新しく商店街が建ち始めた。昭和25-26年には解体・撤去が完了、東口のマーケットは姿を消した。
西口のマーケット 昭和25年から着手された計画が、昭和30年代に入って本格化。西口区画整理事業は、昭和36-37年で取り壊しが完了。長期にわたって存続した西口のマーケットも時代の流れに消えた。



悲しみ食糧買出し焼跡の暮らし進駐軍/闇市/世相の断片



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