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  更新日:11.11.6

「ひさちゃんの宝物」「ひさちゃんのブリキのお家」の時代背景

物語の時代背景を 〜戦前・戦中・戦後 〜 から見る
1930(S.05)-1952(S.27)

「ひさちゃんの宝物」「ひさちゃんのブリキのお家」が舞台になった時代は
年表の地が 色の部分にあたります。

日本の主な出来事 物語の舞台 豊島区と子どもや生活に関する出来事
1931(S.6)
 
満州事変(09.18)
1932(S.7)
 
「満州国」建国宣言(03.01)
1933(S.8)
 日本、国際連盟脱退(03.28)
1936(S.11)
 
2・26事件、東京に厳戒令(02.26)
銃後の母…「母親講座」や「母性厚生講習会」が開催(S.5)され、その後「国防婦人会」も発足(S.7)。軍国の母を賛美・育成し、母性愛の奉仕が奨励された。
軍国少年少女の育成…小学校の国定教科書改訂(S.8)。国語「ハナ、ハト、マメ、マス」が「サイタ、サイタ、サクラガサイタ…ススメ、ススメ、ヘイタイススメ」に変わる。少年団の教材だった小説「ジャングルブック」が「金太郎」や「牛若丸」に変わり子どものための出版物も統制(S.11)。
1937(S.12)
 日中戦争開始(07.07)
 南京占領(12.13)
1938(S.13)
 日本軍、徐州を占領(05.19)
 武漢三鎮を占領(10.27)
1939(S.14)
 日ソ、ノモンハンで衝突(05〜09)
1940(S.15)
 日独伊三国軍事同盟に調印(09.27)

戦争が長引く兆し…戦争協力の思想教化運動「国民精神総動員運動」実施、活発化(S.12)。国民生活の全てを管理・統制・教化させる。「国家総動員法」、「灯火管制規則」、「勤労動員」、「国民徴用令」、スローガン「ぜいたくは敵だ」、「国民体力法」 17〜19歳男子身体検査義務づけ、「大政翼賛会」発足、「皇紀2600年式典」挙行、米・砂糖・マッチ・木炭・育児用乳製品・牛乳、切符制配給に。
隣保組織…官主導でを制度化(S.15)。町内会・隣組は翼賛運動の単位として、配給・貯蓄・献金・供出・防空訓練・衛生講習活動を担った。

1941(S.16)
 米、対日石油輸出全面禁止(08.01)
 太平洋戦争始まる(12.08)
 日本軍、香港占領(12.25)

1942(S.17)
 日本軍、マニラ占領(01.02)
 シンガポール占領(02.15)
 米軍の東京初空襲(04.18)
  荒川、王子、葛飾、牛込、品川
 日本海軍、ミッドウェー海戦撤退
         (06.07)
1943(S.18)
 ガダルカナル島日本軍撤退(02.07)
 アッツ島、守備隊玉砕(05.29)
 同盟国イタリア、降伏(09.08)
 マキンタラワ島 日本軍全滅(11.22)

1944(S.19)
 サイパン島玉砕
 北九州で最初の本土空襲
        (06.16 八幡空襲)
 神風特攻隊、レイテ沖に出陣(10.23)
 豊島区初空襲(12.12)
  西巣鴨1、池袋1、日出町2・3、
  雑司ヶ谷町1〜3、高田本町1・2

強まる管理・統制・教化…大日本青少年団結成、参加が強制される。「治安維持法」改正で全面的重罰化・取締拡大・予防拘禁制追加、小学校は国民学校に改称され軍国少年・少女教育が本格化、「銃後奉公強化運動」、「国民勤労報国協力令」男子14〜40歳・未婚女子14〜25歳に勤労奉仕の義務づけ、「物資統制令」物資生産・配給・使用・消費・所持・移動を統制、「国民勤労報国令」学徒出動命令、「食糧管理法」食糧生産・流通・消費に政府が介入・管理、国民決意の標語「欲しがりません勝つまでは」、金属類回収(金属供出)始まる、「戦時学徒体育実施要綱」男子生徒は従軍前提の猛特訓、「学徒戦時動員体制確立要綱」学生の勤労奉仕強制、14〜25歳女子による勤労挺身隊、神宮外苑で学徒出陣壮行会、連日のように防火訓練。
学童疎開…学童の縁故疎開を促進
物不足…キャラメルやビスケットも割当販売。紙芝居の飴もなくなった。食糧以外にも生活用品のほとんどが不足、学用品・制服・遊具なども学校から配給になった。ほとんどの物が代用品に変っていった。
建物疎開(強制疎開)…本土空襲に備え、類焼や延焼を防ぎ避難の妨げにならないよ う建物が取壊された。
学童集団疎開…縁故疎開できない国民学校3〜6年生の集団疎開が始まった。豊島区25校の集団疎開の参加児童数、10500人(S.19.08.19〜)。 疎開期限の一年延長、疎開対象の引き下げ(国民学校 1・2年生まで)も行われた。
年度末(〜S.20.03.10)に学童疎開先より初等科修了児童が帰京、豊島区内帰京学童数、2522人。
第二次学童集団疎開が実施され(S.20.03〜05)、区内児童2184人が参加。疎開しない児童(残留組)は毎日通学し、空襲警報と共に授業打ち切りで帰宅する日々を送っていた。
※疎開先の火災で池袋第五国民学校児童8名が死亡(S.20.05.30)。疎開先も安全でなくなった。空襲の危険や食糧事情悪化もあり、さらに再疎開が必要になった。
食糧不足…芋づる、桑の葉、よもぎ、どんぐり、カボチャ、芋のつるも食用(代用食)にした。 配給はトウモロコシの粉や、かさかさの大豆粕がほとんどだったが、それも遅配続きのため、物々交換や闇買いで命をつないだ。
城北大空襲…豊島区の人口の七割が罹災。区役所も全焼、直ちに立教中学校に仮設され、罹災調査、救援物資配給、罹災証明書発行、遺体収容に奔走。遺体は六義園・根 津山(日出町)・雑司ヶ谷宗祖堂に仮埋葬された。※空襲の全時期を通じた豊島区内の罹災者数は、16万9392人。都内35区中 第2番目の大きさだった。罹災者の多くは焼跡にトタン板の仮小屋や防空壕を改良し た半地下式壕舎(雨が降ると浸水する)で生活を送った。

戦争が終って…灯火管制が解除され、国民学校が再開された。文部省は教科書の部分 削除が通達され、子どもたちは授業で教科書を黒塗りし、ページを切り取った。
日本は連合国軍の占領下に置かれ、占領政策(戦犯逮捕、公職追放、言論統制、武装解除、非武装化、民主化、農地改革、教育改革など)が実施される。
学童集団疎開帰校指令で区学童集団疎開が解除。疎開先から戻る(S.20.10中旬〜11.初旬に引き上げ)。
食糧事情は改善されず、敗戦から11月中旬までの東京全域の餓死者は、推定で1000人以上。
東京拘置所がGHQに接収され巣鴨プリズンとなり戦犯容疑者が収容された。※GHQ(連合国軍最高司令官総司令部):ポツダム宣言執行のため日本において占領政策を実施した機関。
戦後の食糧事情…食料品や生活物資の不足、主食配給の遅配が続く。その後、配給食 糧だけで餓死する人も出た。多くの人はヤミ買いや戦時中からの買い出しに頼った。 米や食料品、衣料品の配給制度がしばらく続いた。
都営住宅建設…敗戦の翌年に木造組立式応急簡易住宅を建設(S.21)。雑司ヶ谷4の旧高田第四小学校跡に40戸、椎名町3に40戸、池袋5に62戸。学校 や公園予定地だったため、2、3年で取壊しとなった。
学童集団疎開…敗戦の翌年3月末、最後の疎開児童が疎開先を離れた。戦災孤児となっ た児童は保護施設や親戚、知り合い、労働力の必要な農家へ引き取られた。
学 校…豊島区内国民学校27校のうち20校全焼のため、25校を16校に統合し授業再開。敗戦の翌年度に区内の学校建設が始まり、連合軍放出物資・都 配給物資・各校購入物資による学校給食(副食中心)も実施されるようになった。
国民学校等の旧教科書の使用禁止、「君が代」斉唱や御真影奉拝規程が削除。学制改革(6・3制・男女共学)で新制中学ができ、国民学校も小学校と改称。翌年には高等学校全日制・定時制が発足、6・3・3制完全実施。
1945(S.20)
 豊島区空襲(02.19)池袋2
 豊島区空襲(02.25)駒込1
 豊島区空襲(03.04)駒込2〜6、
  巣鴨2〜5、西巣鴨3・4
 東京下町大空襲(03.10)江東地区
 豊島区にも被害(03.10)
  駒込5・6、巣鴨1・2、西巣鴨1、
  池袋1、日出町1〜3、雑司ヶ谷町4
 (死者14人、負傷者91人、焼失家屋
  1379戸、罹災者5488人 )
 米軍、沖縄本島に上陸(04.01)
 豊島区空襲(04.01)高田南町3
 豊島区空襲(04.07)長崎6
 豊島区空襲(04.12)日出町3
 豊島区空襲(04.13 )区のほぼ全域
 =城北大空襲/死者778人、
  負傷者2523人、焼失家屋3400戸、
  罹災者161661人
 同盟国ドイツ、無条件降伏(05.07)
 豊島区空襲(05.24)長崎1・2
 豊島区空襲(05.25)
  池袋5、日出町1、雑司ヶ谷町3〜6、
  目白町1・2、椎名町1
 沖縄戦で集団自決相次ぐ(04〜06)
 広島に原爆が投下される(08.06)
 ソ連、対日宣戦布告(08.08)
 長崎に原爆が投下される(08.09)

 日本、ポツダム宣言受諾(08.14)
 昭和天皇、終戦の詔勅(08.15)
 日本降伏(降伏文書に調印 09.02)
 連合国軍(実体は米軍)が東京に進駐
            (09.08)
1946(S.21)
 天皇、人間宣言(01.01)
 GHQ、軍国主義者を公職追放(01.04)
 食糧メーデー「憲法より食糧を」
        (05.19)
 日本国憲法公布(11.03)
 ララ物資、第一便到着(11.30)

1947(S.22)
 新学制発足(04.01)
 日本国憲法施行(05.03)
 東京都23区制に編成(08.01)

1948(S.23)
 6・3・3制が完全実施(04.01)
 GHQ、祝祭日の国旗掲揚を許可
           (04.04)
 第14回オリンピック/ロンドン
  ※日本の参加は不許可
        (07.29〜08.14)
 極東軍事裁判 判決(11.12)
 極東軍事裁判 執行(12.23)

1949(S.24)
 GHQ、自由な国旗掲揚を許可(01.01)

1950(S.25)
 
レッドパージ勧告始まる(07.24)
  ※赤狩り/新聞・通信・放送関係
 朝鮮戦争始まる(06.25-S.53.07.27)
  ※日本が前線基地となる
 警察予備隊令 公布・施行(08.10)
  ※警察力の不足を補う武装組織。
   後の自衛隊
 教科書が国定から検定に。
 「君が代」復活。

1951(S.26)
 サンフランシスコ講和条約、
 日米安全保障条約、調印(09.08)

1952(S.27)
 
サンフランシスコ講和条約、
 日米安全保障条約、発効(04.28)
  ※日本主権回復

街の復興 
・学校建設開始(S.21〜)
・区内道路舗装工事開始(S.22〜)
・池袋駅本屋、付属建物復興建築完成(S.23.04.13)
・都電の戦災路線復旧工事完了(S.24.02.01)
・豊島区役所新庁舎落成式挙行(S.24.06.03)
・池袋西口駅ビル完成・営業開始(S.25.12.08)

配給・統制の廃止(S.24〜)
・野菜・飲用牛乳・水産物・みそ・醤油
・米以外の主食パン等の自由販売開始(S.25)
・食糧配給公団廃止(S.26)

在日米軍…日本の主権回復と共にGHQの進駐は終わったが、米軍は日米安全保障条約に 基づいて駐留を継続。その後、在日米軍(USFJ)発足により、現在に至る。

※外交文書で正式に戦争が終わった日は1945年9月2日だが、講和条約発効まで含めると1952年4月28日が終戦の日となる。


●参考文献
『豊島区史』1951年/豊島区
『豊島区史・年表編』1982年/豊島区
『豊島区史・通史編2』1983年/豊島区
『豊島区史・通史編3』1992年/豊島区
『豊島区史・資料編5』1989年/豊島区
『写真で見る豊島区50年のあゆみ』1982年/豊島区
『戦争と豊島区』1995年/豊島区教育委員会
『 戦中・戦後の区民生活』1985・1986・1989年/豊島区教育委員会
『さやうなら帝都勝つ日まで−豊島の学童疎開−』1987年/豊島区教育委員会
『子どもたちの出征−豊島の学童疎開2−』1989年/豊島区教育委員会
『子どもたちの太平洋戦争−国民学校の時代−』1986年/岩波新書/山中 恒 著
『私の集団疎開』2007年/文藝春秋/秋山美子 著(豊島区生まれ・長崎第三国民学校)
『風の交叉点2−豊島に生きた女性たち−』1993年/豊島区立男女平等推進センタ−
『風の交叉点4−豊島区女性史通史−』1996年/豊島区立男女平等推進センタ−


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