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雑司ヶ谷霊園に眠る著名人
50音別 か          [参考資料・サイト一覧]

更新日:09.11.6 

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柏井 園

かしわい えん
明治3〜大正9(1870-1920)年

墓碑位置:1種8号9側*番
職 業:キリスト教学者・牧師
略 歴:高知県出身。ニューヨークのユニオン神学校に学び、伝道者養成と神学教育に当たる。日本基督教青年会同盟(現・日本YMCA同盟の前身)の機関誌「開拓者」創刊。その後「文明評論」を創刊し評論・論考を発表。日本キリスト教神学の確立に努めた。
撮影日:0000.00.00

著書・作品
『基督教小史』『基督教史』『パウロの自伝』『柏井全集〈続篇 第1-5巻・別巻〉』



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片倉鶴陵(片倉元周)

かたくら かくりょう(かたくら げんしゅう)
寛延4〜文政5(1751-1822)年

墓碑位置:1種8号18側*番
職 業:医師
略 歴:相州築井(現・相模原市津久井)の木村家に生まれ、近くの医師片倉周意の養子となった。通称は元周。鶴陵と号し、12才で江戸に出て養父周意の恩師多紀元孝の学撲として仕え、その子元悳に教育を受け漢方医学を身につけた。25才の時多紀家をはなれ開業。隣家の前野良沢の門人蘭方医嶺春泰を通じ、蘭方知識を吸収、その後京都で賀川玄悦に産科を学び、独自の学問的体系を成す転機となった。
産科医術の開発者として世界に先がけた数々の業績をあげ、産科発蒙六巻を著す。その他小児病、梅毒、癩の治療にも心血を注いだ。名医のほまれ高く、病身をおして最後まで病人の治療にあたった。
撮影日:0000.00.00

著書・作品
『黴癘新書(ばいらいしんしょ)』/処女出版。梅毒(黴毒)を上巻、癩(癘病)を下巻として刊行。梅毒(黴毒)治療書として有名で、1894年アメリカ医師会雑誌にも全文が英訳掲載された。
『傷寒啓徴』『産科発蒙』(蘭方の説を引用した産科書)『静倹堂治験』『青嚢瑣探(せいのうさたん)』『医学質験』『屠蘇考』

参考資料・サイト紹介
・『将軍と町医』森末新 著
・千葉大学附属図書館亥鼻分館所蔵・古書コレクション目録/黴癘新書 (全)
・東亜医学協会 http://aeam.umin.ac.jp/

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加藤弘之

かとう ひろゆき
天保7〜大正5(1836-1916)年

墓碑位置:1種4B号3側*番
職 業:政治学者・国法学者 啓蒙学者
略 歴:兵庫の但馬出石藩士 加藤正照の長男として生まれる。幼名、土代士(とよし)、のち弘蔵。明治元年に弘之と改名。藩校弘道館に通って朱子学を中心とした儒学を学び、兵学師範の子として練兵・武術の手ほどきも受けた。父の勧めで17才で江戸に出て甲州兵学・儒学・洋学を学び次第に洋学に魅せられ哲学・倫理学・法学などの勉学に励む。幕府より蕃書調所(各藩指導者を養成する学校、東大の前身)の教授手伝に採用され、後に東京大学初代総長をはじめ、官界学界の多くの官職を歴任、哲学館(現東洋大学)創立時の顧問でもあった。

初期は天賦人権論(人は生まれながらにして自由・平等の生活をする権利を有するとする思想)を主張し立憲政治啓蒙につとめるが後に否定。『人権新説』等で優勝劣敗の社会ダーヴィニズム(自然淘汰と「優勝劣敗」思想を結び付け、明治政府の富国強兵・殖産興業をベースとする国家主義の正当化理論)を説く。またキリスト教排撃論や利己主義弁護論で多くの論議を巻き起こした。日本の大学制度の基礎づくりに貢献した。

「明六社」結成(明治6年)メンバーの一人(他に森有礼、西周、福沢諭吉等)で、機関誌『明六雑誌』を刊行。西欧の近代思想・文化を学んだ当時第一級の知識人たちが、政治・経済から男女平等論まで様々なテーマを議論、『明六雑誌』に掲載した。幅広い分野で欧米の諸制度・思想を紹介、定例演説会や学術雑誌という啓蒙スタイルも先駆的な雑誌だった。

母兄弟は既に亡く、江戸で苦学の中父も亡くなり天涯孤独の身となる。

撮影日:0000.00.00

参考資料・サイト紹介
財団法人たんしん地域振興基金・但馬の百科事典/先人たち/加藤弘之



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神尾光臣

かみお みつおみ
安政2〜昭和2(1855-1927)年

墓碑位置:1種16号2側1番
職 業:軍人
略 歴:明治・大正期の陸軍軍人。諏訪藩士 神尾平三郎の次男として生まれる。陸軍教導団入団、卒業後に陸軍歩兵軍曹に任官。その後、西南戦争従軍、日清戦争(第2軍参謀)従軍、日露戦争(旅順攻略歩兵22旅団長)出征、第一次大戦(青島守備軍司令官)、第9師団・第18師団長等を歴任、陸軍大将となる。光臣が亡くなった数年後に長男が亡くなり、神尾家は有島武郎の三男が継ぐ(次女が作家有島武郎の妻)。

撮影日:0000.00.00

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金子馬治

かねこ うまじ
明治3〜昭和12(1870-1937)年

墓碑位置:1種1号9側*番
職 業:哲学者・評論家
略 歴:坪内逍遥の薫陶を受けた東京専門学校文学科の第一期生で、早稲田文科初期の代表的人物。卒論が「早稲田文学」に掲載されたのをきっかけに、文学・哲学関係の論文・評論を続々と発表。真善美と創造を最高の価値とする文化運動を唱え、理想に導かれた文化発展を説いた。大隈重信の教育理想に基づき、坪内逍遥・市島謙吉らと共に早稲田中学校創立(1895年)。早稲田大学文学部初代学部長、坪内逍遥記念演劇博物館の初代館長もつとめた。

撮影日:0000.00.00

著書・作品
『新哲学講座〈第1-3巻〉』『現代哲学概論』『欧洲思想大観』『芸術の本質』他

参考資料・サイト紹介
早稲田大学図書館
早稲田中学校・高等学校/学校概要/沿革より

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川口 浩

かわぐち ひろし
昭和11〜昭和62(1936-1987)年

墓碑位置:1種16号10側*番
職 業:*
略 歴:映画『裁かれる十代』でデビュー。初主演作『処刑の部屋』がヒット、大映若手2枚目スターとして多くの映画に主演。結婚後実業界へ転身するが、その後カムバックしテレビで活躍した。TBS系『キイハンター』、朝日系「水曜スペシャル」の『川口浩探検隊」シリーズに出演。
父は作家で大映専務の川口松太郎、母は女優の三益愛子、妻も女優の野添ひとみ、弟は俳優の川口恒、川口厚、妹は元女優の川口晶(現陶芸家・国重晶)と芸能一家。
撮影日:0000.00.00



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川口松太郎

かわぐち まつたろう
明治32〜昭和60(1899-1985)年

墓碑位置:1種16号10側*番
職 業:小説家・劇作家
略 歴:「鶴八鶴次郎」で第一回直木賞を受賞。映画・演劇でも活躍、「愛染かつら」「明治一代女」などヒット作が多く、大御所的存在だった。
撮影日:0000.00.00



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川本幸民

かわもと こうみん
文化7〜明治4(1810-1871)年

墓碑位置:1種2号1側*番
職 業:蘭学者
略 歴:藩医・藩書調所教授、日本化学の始祖。
摂津国三田藩代々の藩医の家に生る。村上良八に漢方医学を学ぶうちに蘭方医学に関心を持つ。その後三田藩始って以来の秀才という評判が藩主に届き、参勤交代で江戸詰めとなる藩主に同行、藩費で留学を許される。
江戸では蘭方医 足立長州、欄学者 坪井信道に師事し、水戸藩医 青地林宗の『気海観瀾(きかいかんらん)』の増補改訂を任され、欄学者 宇田川榕案の『舎密開宗(せいみかいそう)』で化学を学ぶ。
医業の傍ら、物理学や化学が医学とは別に研究すべき重要な学問分野であると認識、『気海観瀾広義』の上梓をはじめ、西洋技術の解説書を刊行、ドイツの化学書を翻訳し初めて「化学」という言葉を使うなど、西洋科学の紹介に尽力した。
また、西洋科学の研究紹介だけでなく、西洋科学技術を実験で確認。マッチ、銀板・湿板写真、ビール醸造、電信技術などの実験を成功させ先端技術を日本に紹介した。折しもペリー来航に前後する時期、西洋をおそれることなくその知識に取り組むことの重要性を自ら実践し、明治期の西洋科学導入への素地をつくった功績は大きい。

※藩書調所(ばんしょしらべしょ):江戸幕府の洋学研究や外交文書を翻訳する機関。前身は江戸九段下に開設された洋学所。藩書調所から後に神田一橋に移り洋書調所、次いで開成所と改められる。明治に引き継がれ東京大学の前身となる
※『気海観瀾(きかいかんらん)』:青地林宗による、体系的に物理学を紹介した日本最初の物理学書
※舎密(せいみ):オランダ語で化学の意

撮影日:0000.00.00

著書・作品
『気海観瀾広義』(1851-1856年)/物理学を中心に化学・動物学・植物学・鉱物学・天文学など幅広い分野の知識を網羅。日本近代科学史上、記念碑的な著作といわれる
『遠西奇器述』(1854年)/西洋の科学技術を紹介、江戸の薩摩藩士向けの西洋先端技術の講義録をまとめたもの。薩摩藩(第28代藩主・島津斉彬)の近代化事業の技術面で参考にされた
『兵家須読舎密真源』(1856年)/モリッツ・マイヤー(独)の化学書の翻訳
『化学新書』(1860年)/シュテックハルト(独)の化学入門書『化学の学校』の翻訳

参考資料・サイト紹介
・大人の科学.net/江戸の科学者列伝/川本幸民 http://otonanokagaku.net/index.html
キリンビール大学/日本のビールさきがけ研究所/初めてビールを醸造した日本人川本幸民

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北村寿夫(北村寿雄)

きたむら ひさお(きたむらとしお)
明治28〜昭和57(1895-1982)年

墓碑位置:1種17号19側*番
職 業:脚本家・児童文学作家
略 歴:東京生れ。本名、寿雄。早稲田大学英文科在学中に童話を書きはじめ、中退後は小山内薫に師事して劇作家・放送作家として活躍。1936年からNHK文芸主事として音楽劇やラジオドラマの制作に携わり、その後執筆活動に専念するようになる。戦後、菊田一夫の「鐘の鳴る丘」のあとをうけ、昭和27年から連続ラジオドラマ「新諸国物語」シリーズを執筆、日本中の子ども達を夢中にさせた。
この一連の冒険活劇は、「美しく力強いロマンチシズム文学を書きたい」という長年の夢に、「戦後間もない無気力と虚脱と廃墟の中でも、人は勇気・誠実・愛情・正義を忘れてはならない」との思いが重なって誕生したという。
特に人気の高かった『笛吹童子』と『紅孔雀』は映画化され、後に人形劇としてテレビでも放送、戦後の連続放送劇の型を確立した。放送文化への貢献によりNHK放送文化賞を受賞。
撮影日:0000.00.00

著書・作品
「新諸国物語」シリーズ(1952〜1979年)/『白鳥の騎士』『笛吹童子』『紅孔雀』『オテナの塔』『七つの誓い』『天の鶯』『黄金孔雀城』『紅衣無法門』
『北村寿夫放送劇脚本集』
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喜多村緑朗

きたむら ろくろう
明治4〜昭和36(1871-1961)年

墓碑位置:1種5号28側*番
職 業:新派俳優
略 歴:本名、喜多村六郎。東京生まれ。本郷座を本拠に新派の全盛期を創出、新派の代表的女形。また泉鏡花と親交が深く、彼の作品を上演し鏡花役者といわれ、「婦系図」のお蔦、「滝の白糸」の白糸などで絶賛される。重要無形文化、文化功労賞を受賞。
撮影日:0000.00.00



金田一京介

きんだいち きょうすけ
明治15〜昭和46(1882-1971)年

墓碑位置:1種22号5側24番
職業:国語学者 言語学者
略歴:岩手生まれ。アイヌ語、アイヌの叙事詩『ユーカラ』の発掘や研究の第一人者。多くの辞書の監修者としても知られている。文化勲章、恩賜賞授章。
若い頃は、新詩社の『明星』に加わり短歌に親しんだ。中学の後輩石川啄木を短歌に誘い、物心両面で支えた。

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窪田空穂

くぼた うつぼ
明治10〜昭和42(1877-1967)年

墓碑位置:1種9号8側*番
職 業:歌人・国文学者
略 歴:本名、通次。長野県生まれ。太田水穂と交流し作歌を始める。与謝野鉄幹に認められ「明星」に詩歌を発表。浪漫的歌風を示し、詩歌集『まひる野』で評価を受ける。その後自然主義の影響を受けるが、やがて現実を肯定的に捉えて生活実体を重んじるようになる。古典研究に優れ、母校である早稲田大学の文学部教授をつとめた。歌集の他、万葉古今など優れた評釈がある。
撮影日:0000.00.00

著書・作品
詩歌集『青みゆく空』『泉のほとり』



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ケーベル(ラファエル・ケーベル)

けーべる(らふぁえる・けーべる)
弘化5〜大正12(1848-1923)年

墓碑位置:1種東6号2側*番
職 業:哲学者・音楽家
略 歴:ドイツ系ロシア人。モスクワ音楽院でピアノを学び、ドイツのイエーナ・ハイデルベルク両大学で哲学を修める。東京帝国大学で西洋哲学を、東京音楽学校でピアノを教えた。教養人格高く学生の敬愛を得る。
哲学・美学・音楽の専門分野の著作他、随筆集が有名。日本における西洋的思考の発達に貢献。門下生に夏目漱石。第一次世界大戦勃発のため帰国の機会を逃す。
撮影日:0000.00.00

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小泉八雲

こいずみ やくも
嘉永3〜明治37(1850-1904)年

墓碑位置:1種1号8側35番
職 業:小説家・英文学者
略 歴:本名、ラフカディオ・ハーン(Lafcadio Hearn)。ギリシャ生れのイギリス人。明治23年(1890)、「ハーパーズ・マンスリー」誌(ハ−パ−社)から特派され来日。到着後契約条件が合わず絶縁、伝を頼って島根県立松江中学校の英語教師の職を得、松江の人情や不思議な風俗に出会う。その地で尊敬する旧士族(サムライ)の娘・小泉節子(戸籍名セツ)と結婚する。間もなく熊本の第五高等学校(校長:嘉納治五郎)へ転任、次いで「神戸クロニクル」紙論説記者として神戸に移り、永住を決意し日本に帰化、小泉八雲と改名する。東京帝国大学に招請され英文科講師を、亡くなる年に早稲田大学から招かれ文学部に出講。
日本各地を旅をしながら翻訳・評論・小説・随筆・紀行文などを書く。日常生活や風俗習慣・民話・伝説にいたるまで、忘れられた古い美しい霊的なものを掘り起し、広く世界に紹介した。日露戦争の趨勢を案じながら急逝。

三男一女をもうけているが、長女は八雲が亡くなる一年前に誕生している。妻節子は昭和7年(1932)に亡くなった。

撮影日:0000.00.00

著書・作品
『影』/《不思議な物語りから》6編、《日本研究》3編、《幻想》7編の三部からなる。『今昔物語』『御伽百物語』などによる。

『日本雑記』/《奇談》6編、《民間伝説落穂》3編、《随筆ここかしこ》6編(「漂流」は実在の天野甚助本人からの聞き書き。)の三部からなる。《奇談》は、『雨月物語』や『仏教百科全集』『夜窓鬼談』、出雲の伝説によっている。

『骨董』/《古いはなし》19編、生物進化論や仏教の輪廻思想を反映している。

『怪談』/《怪談》17編(『夜窓鬼談』『仏教百科全集』『古今著門集』『玉すだれ』『新選百物語』などからとられている)、《虫界》3編のエッセイの二部からなる。

『知られぬ日本の面影』/「序文」以下、27章からなる。ほとんどが出雲の人情・風俗について書かれたもの。日本について最初の新鮮な印象記。中でも「日本人の微笑」は明治開明記に外人の手によって書かれた日本人論としてもっとも優れたものの一つ。

『東の国より』/11編、日本の武士道、サムライ的精神と対決した熊本時代の記録。敬愛する西田千太郎に献げた。

『心』/15編、他に俗謡英訳付録からなる。日本の内面的生活?日本の心を取り扱った作品群。

『仏陀の国の落穂』/11編からなる。松江その他での聞き書を中心に、東洋思想(とくに仏教を説く輪廻)と不可知論哲学との共通性を取り上げている。

『霊の日本にて』/14編からなる。後期の怪談ものを予想させる物語性に富む作品を集めている。

『神国日本(日本?解釈への一つの試論)』/死後刊行。八雲の日本考察、日本研究の総決算として注目の著作。

参考資料・サイト紹介
『小泉八雲集』上田和雄(訳)新潮文庫
NPO法人松江ツーリズム研究会/小泉八雲記念館

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著書・作品
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参考資料・サイト紹介
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