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雑司ヶ谷霊園に眠る著名人
50音別   た        [参考資料・サイト一覧]

更新日:09.10.13 

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竹田敏彦

たけだ としひこ
明治24〜昭和36(1891-1961)年

墓碑位置:1種8号36側*番
職 業:小説家・劇作家
略 歴:本名、竹田敏太郎。香川県多度津生れ。丸亀中学時代生家の没落に会い、早稲田大学英文科在学中も苦学する。新聞記者を経て新国劇に入り文芸部長をつとめ、戯曲や家庭小説・風俗小説を書いた。戦後、非行少女の更正施設「丸亀少女の家」を創設。
撮影日:0000.00.00

著書・作品
戯曲『早慶決勝の日』、小説『子は誰のもの』『検事の妹』『涙の責任』など



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武林無想庵

たけばやし むそうあん
明治13〜昭和37(1880-1962)年

墓碑位置:1種1号4側*番
職 業:小説家・翻訳家
略 歴:本名、武林磐雄、のち盛一。小山内薫らと雑誌「七人」を創刊。小説・戯曲を書き、ダダイズムを実践。ヨーロッパ滞在中はコスモポリタンとして話題をまいた。戦後、日本共産党に入党。
撮影日:0000.00.00

著書・作品
「性欲の触手」「むそうあん物語」、翻訳多数。
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竹久夢二

たけひさ ゆめじ
明治17〜昭和9(1884-1934)年

墓碑位置:1種8号9側32番
職 業:画家・詩人
略 歴:大正ロマンを代表する画家。本名、竹久茂次郎。岡山県邑久郡本庄村の造り酒屋の次男として生まれる。17才で上京した後、早稲田実業学校に入学、内村鑑三・安部磯雄の講演(足尾鉱毒講演会)を聞き影響を受ける。在学中は独学で絵を習得、官展に応募を続けていたが、生活のために新聞・雑誌に投稿したコマ絵が認められるようになる。同じ頃、平民社の荒畑寒村や岡栄次郎と雑司ヶ谷鬼子母神付近で自炊生活。早稲田実業専攻科に進学していたが間もなく中退し投稿生活を終えている。
岸たまきと結婚。彼女をモデルにし、独特な美意識による「夢二式美人」が生まれる。
日本画をはじめ、水彩画・油彩画・木版画、本や楽譜表紙の装幀、絵葉書や千代紙・封筒・人形の意匠など商業美術にも才能を発揮、社会風刺画も描いている。文筆の分野でも創作。「宵待草」の歌は、夢二の詩に多忠亮(おおのただすけ)が曲をつけて誕生、多くの人の愛唱歌となった。

多くの女性と恋をしたが、深く関わったのは戸籍上唯一妻・岸たまき(後に離婚、同棲・別居を繰り返すが、破局)、女子美術学校の学生・笠井彦乃(親に引き裂かれた後、病没)、東京美術学校の人気モデル・お葉(「黒船屋」のモデル、破局後医師と結婚)の三人といわれている。

人気が出る程、本格的な画家として認めてもらいたい焦燥感に苛まれ外遊を熱望していた。第一次世界大戦勃発や病などで、その都度断念せざるをえなかった。天災や恐慌で時勢が厳しくなり叙情的な夢二の絵は受け入れられなくなっていく。転機を計るために昭和6年5月に渡米、その後欧州へ渡るが、世界恐慌後の影響やヒトラー政権台頭などの情勢の中、思うような滞在にはならなかった。
二年余りの外遊で結核が進行し帰国するが、その後間もない台湾旅行でさらに病状を悪化させる。経済が行き詰まる中、信州富士見高原療養所院長の厚意に迎えられ同療養所で療養を受けるが死去。
墓碑の「竹久夢二を埋む」は、有島武郎の弟・有島生馬の筆。毎年命日の9月1日には、夢二の墓前で夢二忌が行われている。※詳細は、竹久夢二美術館のお知らせに掲示。

滞欧中の逸話
本格的な絵の勉強のために昭和6年に渡米、その後渡欧各地を旅行。ドイツではベルリンの美術学校イッテン・シューレで臨時講師として日本画の講座を担当した。しかし、同じ頃にヒトラーの内閣成立・独裁権確立によりユダヤ人迫害がはじまり、ユダヤ系教師と学生が大半を占めるイッテン・シューレは閉鎖、夢二は昭和8年9月に帰国している。ユダヤ人に深い関心をよせていた夢二は、当時ドイツで国外亡命の救援活動に協力を惜しまなかったという。

撮影日:0000.00.00

著書・作品
『白衣の骸骨と女』/社会主義雑誌「直言」掲載、日露戦争勝利の悲哀を描いた夢二最初の政治風刺画といわれる。
『足尾銅山騒擾の光景』(1〜6)/「法律新聞」掲載、早稲田大学(東京専門学校)には安倍磯雄をはじめとして数々の人物が足尾鉱毒事件を支援していた。
『童子』大正初期/絹 『一力』/ 『加茂川』大正3年(1914)頃/掛け軸・絹 『秋のいこい』大正9年(1920)/屏風・紙 『黒船屋』大正8年(1919)/絹 『立田姫(たつたひめ)』昭和6年(1931)/屏風・紙
『夢二画集 春の巻』洛陽堂・1909年/処女画集。その後続々と夏の巻、秋の巻、冬の巻を刊行。
「東京震災画信」/『都新聞』に社会時評の文と共に連載。
『出帆』/「都新聞」に連載された自伝的絵画小説。

参考資料・サイト紹介
『竹久夢二ー精神の遍歴』関谷定夫 著 東洋書林
弥生美術館・竹久夢二美術館
夢二郷土美術館
竹久夢二伊香保記念館

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千葉定吉

ちば さだきち
文化9?〜明治12(1812?-1879)年

墓碑位置:1種西6号5側*番
職 業:剣客
略 歴:千葉周作の弟。周作を補佐し、北辰一刀流興隆に尽くす。京橋に道場を持つ。坂本竜馬の剣術の師。重太郎も兄弟の一人。
撮影日:0000.00.00



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網島梁川

つなじま りょうせん
明治6〜40(1873-1907)年

墓碑位置:1種1号2側*番
職 業:思想家・文芸評論家
略 歴:本名、栄一郎。岡山生れ。坪内逍遥に指事し、東京専門学校に学ぶ。卒業後は「早稲田文学」「日本教育」の編集に従事し、倫理学を研究し文芸評論を行う。宗教・思想問題に関心を持つ。神秘的思想と詩的名文の評論活動で名を成す。
浪漫的な宗教感
撮影日:0000.00.00

著書・作品
『病間録』『回光録』『快楽派倫理学説』『西洋倫理学史』



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東儀鉄笛

とうぎ てってき
明治2〜大正14(1869-1925)年

墓碑位置:1種1号1側*番
職 業:音楽家・俳優
略 歴:本名、季治。雅楽(宮内省雅楽部)・洋楽を学ぶ。東京音楽学校講師となり、「鉄道唱歌」「都の西北」(早稲田大学校歌)を作曲。また、明治期を代表する新派俳優でもあった。「ベニスの商人」のシャイロック役が好評。文芸協会に入った後に新文芸協会を起こしている。
撮影日:0000.00.00

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東郷青児

とうごう せいじ
明治30〜昭和53(1897-1978)年

墓碑位置:1種15号19側*番
職 業:洋画家
略 歴:本名、鉄春。鹿児島生れ。有島生馬に指事。第三回二科展で「パラソルさせる女」が二科賞を受ける。フランス留学後、「サルタンバンク」などの滞欧作品を発表し、二科会員となり、甘美で幻想的・装飾的な独自の女性像を描く。戦後、二科会を再建し、その中心となる。二科会会長。文化功労賞、フランス芸術文化勲章などを受賞。
撮影日:0000.00.00

著書・作品
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参考資料・サイト紹介
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東条英機

とうじょう ひでき
明治17〜昭和23(1884-1948)年

墓碑位置:1種1号12側*番
職 業:軍人・政治家
略 歴:中国戦線拡大を主張、首相となり独裁的傾向を強めた。対米英開戦時の最高責任者で、敗戦後の極東国際軍事裁判で、A級戦犯として絞首刑となる。
撮影日:0000.00.00

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著書・作品
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参考資料・サイト紹介
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